尚寧展
昨日浦添美術館の尚寧展を見に行きました。コロナ対策が十分にされていて、安心な状態でした。
尚寧王は薩摩の侵略にあった王なので、気に留めるべき王様です。これまでの琉球の歴史の
復習も兼ねて、かなり有意義な日になりました。
今までは歴史は時系列的にサーとなぞってきたのですが、文献とか遺物の展示解説を読むと
当時の為政者の苦労とかが垣間見えます。
琉球人も日本人、中国の明人も、人格的にはあるいは人間的にも今の自分たちの国益願望の能力を超えていると感じるのですが、歴史家の文章力のせいでしょうか。
人の持っているものを奪い取ろうとする、争い事、戦争、考えれば、すべてその歴史ですね。
ただ今回の展示で、新しい情報がありました。尚寧が葬られている「浦添ようどれ」。尚寧没後の43年後
に正妻が亡くなるのですが、当初首里の天山陵に葬られていたのを、夫・尚寧の眠る浦添ようどれに移された
ということです。その時代は妻は子供を産んでも、亡くなったら実家の墓に埋葬されていたということが展示文に書かれていました。一部の人かもしれませんが、その後の時代から、夫婦は一緒に葬るということになるのかな。
これは、自分にとって重要なことで、沖縄の門中制度は、共同墓が多く、墓に入れる条件があります。
その条件が満たされなければ、入れません。嫁が自分の生まれた実家の墓に入ることは、その後の実家の禍事を招くので禁忌です。離婚して出戻りするなという事でしょう。
これも誰が決めたのか、迷信です。でもこういう事は最近ではなくなりつつあります。基本は子孫に、亡くなった悪しき人のマネはしてもらいたくない。という事です。だから、重大な倫理・法律に反する人は、門中の人達の話し合いが基本ですが、入れません。
そういう目に見えない事象で、人を脅かす(恐怖の虜になっている)人達がいるので困ります。よく考えて見れば、その人たちも可哀そうな人達なのですが・・・。
「自分の事は自分で決めます。あなたに私の人生の舵を取らせません。」と言いたいのです。
ただ今回の尚寧展でも、明の冊封使が再三薩摩の侵略を注意しているのにかかわらず、「琉球は神様が守っているので恐れずに足らず。」みたいなことで対応している。
どういうことなのかよくわかりません。
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